御霊で考える

陰陽五行論では、御霊のエネルギーの特性を陰占と呼び、内なるエネルギーが借り物の身体を通じて現実世界に放たれた際に起きる現象を、陽占という現象で表します。

詳細は割愛いたします。

身体には頭という部位があります。
少しややこしいのですが、頭と御霊は似て異なる物なのです。
人間がパソコンを使う、というイメージが理解し易いかもしれません。

御霊は、自然との共存の上に成り立ち何をすべきか、また必要なタイミングで起こる現象に逆らわず予定通りの行動をとろうと致します。
それに引き換え、頭という部位は経過年数の経験などを踏まえ良し悪しを判断し行動を起こさせます。
正にパソコンの判断基準である、良いのか悪いのかという選択をしてしまうのです。換言すればエゴというと解りやすいかもしれません。

一般的に頭で考えると、欲得の勘定で選択してしまいやすい傾向があると言えます。しかし、御霊はどのような事も必要な事とし受け入れ、流れに身を任せて今必要な体験として受け入れます。

そこで、それが将来の流れに大きな影響をもたらします。
御霊との会話が難しいのであれば、五徳本能を実行することが今世の役割に近づく早道だといえます。
理屈ではありません。

今世での経験をする設計図を御霊は憶えています。
なので、目の前の現象に一々一喜一憂せず予定通りの必要な経験を受け入れようと判断し、身体に指令を与えます。
この時にとる行動の意味が、将来に自分自身にとりあの時の体験が今生きている、と理解できる日がやってくるのです。

人は過去の経験で今の状況を一喜一憂、分かり易くいうなれば喜んだり後悔したりするのです。
実は、その後悔する事の意味のなさに御霊はわかっています。

無駄な事は何一つ起こりません。
今起こる現象は全て必要だから起こるのです。

社会現象

最近の日本人は、マナーというカタカナ言葉で行動が間違った方向へ進んでないだろうか?
美しいと言う評判を聞き付けて、いち早く行き騒ぎ、そしてゴミを放置して帰る。
勿論、皆んなでは無い事も確かです。
これが順序が逆で、その場所がゴミだらけだったら行くのだろうか?
誰かが掃除して、その労を平気で汚す。
因果の法則と、等価交換の法則に照らすとこう言う事になる。
掃除をして下さった方は、労と言う代償を支払い美しさを見えない方々へ向けて提供する。
そこを気持ち良く使い、そして汚して帰る人は得の先食いを行う。
前者には、やがて良いと言われる現象がやって来て、後者の方はやがて罰と言う代償がやって来る。
日本には昔から、徳を積みなさいという教えが親から子、子から孫へと引き継がれてきました。
礼儀や作法、行動は躾という親子だけで無く近所の方へも挨拶、そして注意や指導と言った行動があった。
今は、見て見ぬ振りが多くなってしまった。
日本人の遺伝子が、もう一度目覚めてくれる事が住みやすい社会にする第一歩となると思う。
コロナウイルスの拡散も然りである。
発病に至っている、至っていないでは無く、可能性として感染していると言う想定で、先ずコロナウイルスが終息を迎えるという時まで、同じ種の生命を脅かす脅威を押さえ込む協力を行う。
ただそれだけの行動である。
その行動が、しいては自分の身内や自分自身の安全の担保となると思う。
是非、行動変異を行なってくれる事を信じたいと思います。

諸法無我

世の中の現象は、想い通りにはならない。。。

よく皆さんとルールというものを決めます。
そのルールに従う、従わせて行こうとする想い。

結局は、自分自身でさえ己を律するどころか、甘えやその場の流れで「一度くらい」「まぁ良いか!」
などと、決め事通りにはいかないもの。

すなわち、いろんな法などを創っても我の思った通にならなかった。
世の中、想い通りにはならないのが常である、こんな意味でしょうか。

諸法無我、まさにこの世は想い通りには成らぬもの、現象を受け入れ結果を楽しみましょう。

諸行無常

有名なのは、祇園精舎の鐘の音 諸行無常の響きあり

有名な一節です。

普段の生活に照らしてみましょう。

朝起きて、歯を磨き、顔を洗い、食事を済ませて、用を足す。

そして、タイムカードを押し仕事開始、昼飯を食べる、休憩終わり。仕事を再開して終業して帰宅する。

風呂に入り、ご飯を食べて幾分くつろぎ、就寝する。

朝起きて、、、

この様な繰り返しの人生の為に生まれて来たのだろうか?

単調な事には、つまらないと言い、大変な事が起きると恐れおののく、

時間と言う流れがある以上、今がドンドン通り過ぎて行き、過去となる。何一つとして実は変化しない物など無い。

一度の人生、こだわりを捨て、起こり得る現象にただ前向きに対処して味わい尽くす。

すると自ずと道は開けてくる。忘れてはならない事は、目の前の事に一所懸命に取り組む事。何故ならば、乗り越えれない現象は起こらないから。

死が怖くてたまらない

ある時、新聞記事でタイトルの記事に出会った。

なるほど!以前私も幼い頃に、どうしょうもなく表現できない不安に駆られた経験を思い出しました。

そんな中時間が経過して、その経過の中で あれ?どこかで経験したぞ、 な〜んか見たことある光景だな?って、擬似体験の様な出来事が数知れず起こりました。

そんな中、必然的な出来事が起こりました。

陰陽五行論との出会いです。入塾を決めて、その報告をしに行ったある方から、大変な繋がりに発展しました。これは、公開の文面では書けませんので、ご縁を得た方で有ればお伝えできると思いますので割愛します。

一つは紐解けました。それは死への怖れです。

輪廻転生、正に私の見た予知夢や体験記憶などは学問的に、魂はあの世とこの世、前世と今世と言うと少し違いますが理解はしやすいと思いますが、往き来している。

この回答を得たのです。

もっと具体的にかくと、この世の死があの世の誕生、また逆に、あの世の死が今世の誕生と言うことです。今世では、身体は大切な借り物となり、その肉体の機能を使わせて頂き、自分で決めた今世の役割を消化していく。

魂とはエネルギーで、物理学で言うエネルギー保存の法則が関係します。形ある物体は生きている過程で俗に言う酸化して朽ちていきます。

少し違いますが、今世の役割の終焉と魂の今世の課題の終わりとが一致した、本当のあの世への旅立ちが満足できる結果である事は間違いありませんが、万一出来なくても次があります。

そう、輪廻転生で次のに続きを行えば良いわけです。

決して悲観すべき事ではなく、今を生きましょう。愚直に目の前に起こる出来事に向き合い、丁寧に対応していきましょう。そうする事により、今世でのご自身の御霊は次のステージへと登り、ご自身が今世に生まれる前に計画していた次の課題が起こる。

少し、私なりの解釈も入ってはいますが上記が理解すべき事ではないでしょうか( ◠‿◠ )

今、私、此処、生きる。

必然的な現象

世の中に偶然は無い。

全ては必然的に起こる。

全てを自己責任で、行動に伴う現象と捉えて丁寧に感謝を持って対応しよう。おのずと、因果が見えてくる。

体験は豊

どの様な現象も、起こりうる事に丁寧に、そして一所懸命に取り組もう。

全ては次のステージへ登るための試練である。

後で思い起こすと、その時の体験の豊かさに気がつく筈である。

陰陽五行論で分かった事

自然界の摂理には、空間だけでは人にとって足らない部分として、時間という概念を取り入れました。

その時間という概念の中で、必然的に起こる現象と自分自身が持って生まれた役割に気づき、今世では何をすべきか?という事が宿命に現れている。

こう言った事を、学問として学んでいるうちに必然的に、自分自身は何をすべきか、とか、その為にどういった味方、別の表現で後押しをしてくれるエネルギーを持っている。

そんな事を少しずつ、感じ始める機会を得ることができました。

また、単純だけど何の為に生きている?という回答は、全ての人は幸せになる事を権利として持っているという事です。

然し乍ら、昨今の資本主義社会の中では、お金という、本来は便利になる為の物々交換の時代から、紙切れに管理を付けてルールとして証券をばら撒いた。交換出来る価値を紙切れに託した、それがいつしか権力の象徴となり、お金が全てと言った悲しい💔社会へとなってきました。

この様な仕組みは如何なものなのでしょう?

中途半端な文面になりましたが、次回また機会があれば続きを投稿して行きたいと思います。